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Blog|Art U Staff Blog “asobe”

 <日本の象>探求 近つ飛鳥博物館

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土師ノ里(はじのさと)・道明寺・古市・貴志 と、 近鉄の電車に揺られながら駅を通過していく毎に私は古代に誘われる。駅名はこのルートが古代の幹線であることを顕に遺している。

安藤忠雄の設計した「近つ飛鳥博物館」に立った。それは古墳群の中に在った。なんでこんなにアクセスの悪い所に博物館を?という疑問は一挙に晴れていったどころかこれ程の適地に有ろうか!とうことを識らされた。 10 年の時間を経て建物は風土と馴染みながら毅然と人間の存在を明確に現している。一須賀古墳群と 1500 年余の経過時間を感じさせないように思われた。これは現代の古墳!なのだ。きっと安藤忠雄さんはそのコンセプトで設計されたのではないだろうか?これは安藤忠雄の傑作の一つだと思った。そして千年後の人に見て欲しいと思った。

「日本の象」への探求は所詮「日本の成り立ち」に向かう。この大阪の南河内地域は大和の飛鳥とともに日本の古代文化形成の拠点であったとのこと、そして古代文化を証明する巨大な古墳群は岡山や九州、関東ににも遺されているとの事、それは権力の一局集中ではなく割拠していた事である。展示物の石棺に阿蘇の溶岩や香川県の花崗岩が使われているのを、また石棺作りに使われた<修羅>という巨木の道具を目の辺りにする時、そして埴輪の女の微笑みを受ける時、私の闇はますます深まっていくのでした。

 

 

日本の象(かたち) Japanese Aesthrtics

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坂本善三「形」 1965 年、油彩・キャンバス、 162x130.5cm

<日本の象>って何だろう?という内なる問いに悩まされ奈良・京都を彷徨う昨今です。その問いの糸を手繰っていくと渡来人に繋がっていきます。実際に飛鳥の丘稜に身を置き高松塚古墳やキトラ古墳を体感するとき、<渡来人>問いう言葉が抽象的でなくなるのです。一万年以上 続いたという縄文時代、そこに先進国からの渡来人が長年にわたり大勢渡来して国を築いていったということが明確に識らされるのです。大陸から来た渡来人たちのはこの穏やかな大和の山野に、気候に適応しながら文化文明を編纂していった。そしてそれは平安京で千年の時間に熟成され日本の象ができたのだと思う、概ねは。しかし先史時代からこの地に棲む人間の DNA も確かに遺されている、それは不思議な祭事や宗教の中に。あぁ、<日本の象>への追求はますます混迷が深まるばかりです。ちなみにこの坂本善三氏は熊本出身で古墳の幾何学文様に頗る興味を持っておられました。

 

 渡来人の眠る里 飛鳥

 

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海を渡って来た渡来人達にはこの風土はどのように目に映ったのだろうか?

決して大陸では目にしなかったこのまろやかな山野は彼らを優しく包んだのでは、そして渡来人はこの風土から日本の基を創っていったのだ!この可愛らしい里から、、、柔らかな日差しが私を包んでくれた。

 

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“asobi”<あそび>って一体なんでしょうか?

古来日本文化には~遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や禅語「遊心」が風流=芸術の根底にあります。
西洋ではホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だと思想があります。
私には三人の赤ん坊を育てた臨床体験が鮮明に脳裏に刻みこまれています。乳に満ち足り、寝足りた赤ん坊の行為ですがそれはそれは好奇心に溢れています。手足で遊んだり、触れるものは何でも口に持っていったり、触覚、視覚、聴覚をフル回転して一時の休みもなく遊んでいます。ハイハイができるようになるとその好奇心は一段と高まり、その好奇心により運動能力が発達していく様に見えます。
この好奇心こそ人間の本質であり asobiではないでしょうか?

さて前書きが長くなりましたが、その狙いは私の 密やかな asobiを正当化するための方便でもあるのです。
寛仁大度な作家さま方が私の“asobi”に目くじらたてられないことを願っての、

ところで、今私が目にしている作品はかってはあなたの胎内から産み出されたものですね。安産であったか、七転八倒の難産であったかはわかりませんが産み出された作品はもう一つの独立した人格?というか画格を持った生命体として存在しているのです。
そして見る者の心に生命の輝きを点火させ、時空を超えて生命のエネルギーを放出し続けるのです。
もうそれは産みの親である作家さんの圏外の事象なのです。
感動された時、もうその人のPersonal possessionになるのですから。
感動するとは一体どういうことでしょうか?
それは見者の内にある感性が呼び覚まされる、そして共鳴することではないでしょうか。見者の未窟の鉱脈を探り当てる歓喜と奏でる協奏曲こそ至宝の asobi ではないでしょうか?

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Asobi

References to play abound in Japanese culture passed down over the centuries. Good examples include one of the Ryojin-hisho* songs, “We are all born to play, born to have fun. When I hear the voices of children playing, my old body still responds, wanting to join in,” and the Zen word, Yushin/Asobi-gokoro (A playful mind/Playfulness). Such references indicate that play (asobi) is one of the foundations of art and the popular arts. Similar ideas can be seen in the West, such as Johan Huizinga’s Homo Ludens (or Playing Man), which discussed the importance of play as an essential element in human activity and the origin of culture.

The experience of nursing and rearing my three children is vividly imprinted on my mind. Babies who had plenty of breast milk and sufficient sleep were absolutely brimming with curiosity. They played constantly, with their senses of touch, sight, and hearing in high gear, playing with their hands and feet, and putting anything they touched in their mouths. Once they started crawling, their curiosity went up another gear, seeming to drive the development of their physical abilities and motor skills. This curiosity is surely the essence of humanity, the manifestation of Asobi-gokoro or playful mind.

Please forgive the lengthy introduction, which largely serves to justify my own furtive play. I hope my playing will not overtax the artists’ generosity and compassion. You know, the artwork that I am now looking at has come forth from your womb. I don’t know if it was an easy delivery or an excruciatingly painful, difficult delivery, but now that it is done, the work that you gave birth to exists as a separate entity with its own independent character and its own life.

That entity sparks the fire of life in the hearts of viewers, triggering the ongoing emission of life energy that will transcend time and space. What happens is already outside the control of the artist who gave birth to it. When your art moves someone emotionally, that experience becomes his or her personal possession.

What does it mean to move someone? Surely it means stirring the viewer’s emotions and resonating inside him or her.Performing a ‘concerto’ that resounds with the joy of discovering an untouched vein of something precious inside the viewer is surely the most treasured form of play.

*Ryojin-hisho (Songs to Make the Dust Dance on the Beams): a folk song collection compiled by Cloistered Emperor Go-Shirakawa in the end of Heian period. (12th century)

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