アート・遊|ART U

Blog|Art U Staff Blog “asobe”

「忘れられた巨人」

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2017-12-02-13-26-33

昨今はカズオ・イシグロに首っ丈、丁度「忘れられた巨人」をよみ終えたところです。ラストシーンが〜「さようなら、我が最愛のお姫様」とべアトリスを舟に残して水の中を陸地に向かって振り向くことなく先に進んでいく。〜これがアクセル爺さんとベアトリス婆さんの延々たる LOVE を押し付けられた読者へのあっけない幕切れなのです。付き放たれた読者は、ここからこの小説を遡っていくべき誘導されるのです。決して二人は乗れない舟、これは黄泉への暗示でしょうか?
舞台は中世イングランドのアーサー王の時代です。竜の息の霧で人々は記憶を消される。昨日の出来事も忘れてしまう。アクセルもベアトリスもしかり、この老夫婦が微かな記憶を探りながら息子に会う旅がストーリーです。カズオ・イシグロの舞台の見事なスケッチは読者をかっては砦であった修道院や洞窟、原野に誘う。その舞台に登場する少年、若い戦士、誇り高き老騎士、修道僧たち、そしてアクセル夫妻たちはうつつであり現実です。
この小説のテーマは人間の憶喪失だと思います。プリントン人とサクソン人という民族間の鮮烈な戦いとその集結の仕方こそ記憶喪失なのです。それを竜の霧であらわしていますが、その竜を退治するという騎士、そこにアイロニーを感じます。
これは中世を舞台にしていますが現在も少しも変わりません、民族間の争いは。日本だってほんの少し前の太平洋戦争で日本中が執拗に焼かれたではないですか。人間の記憶喪失の機能が生存の重要な要素だと考えさせらました。
そしてモネの晩年の作品がアクセルと重なってくるのです。モネは人間の生命の本質の極みを追求したのだと少し理解できた思いがしました。

 

土の間は坂本善三のために造ったのだった!

 

 

img_5115

久住有生さんに造ってもらった土の間、今まで吉原治良、白髪一雄、松谷武判、アニッシュ・カプーア、、の作品を掛けてみた。しかし一瞬のうちに坂本善三の専用スペースになってしまった。言葉も理屈も無用、この土の間は坂本善三の作品を迎えるために造ったことを知らされた。ちなみにこの作品は「構成 80 」、 FIEST展(パリ)で専門家賞を受賞したまぼろしのリトグラフィです。

青の情念

img_5085

昨今、カズオ・イシグロの嵌まっている。”The Remains of the Day” を読み終えたところ、これは老執事スティーブンスの車の旅に回想をコラージュして構成していくというイシグロのスタイルである。第二次世界大戦という大きな歴史の変動ににより英国貴族屋敷が雇い人丸ごとアメリカ人に買い取られ、開放的な主人からまとまった休暇とフォードを与えられ旅が始まる。執事とは自己抑制の極値をめざすものであろう。粗末な使用部屋以外では決して脱ぐことのなかった執事という鎧を始めて脱ぐ旅である。旅の現実に出くわす事件と回想が時間空間を超えて交差してぐいぐいと読者を引き込んでいく。しかしくだりなど無用でしょう。私はこれは女中頭ミス・ケントンとの恋愛小説だと思う。抑えた、抑えた情念、鎧の中に燃える密やかな炎、それは微かだが靭い青い炎。私の脳裏にこの坂本善三の「灰色の中の青」が浮かんできた。そしてー本当の情念は青色だーと言っていた坂本の言葉を想い出した。

 

PageTop

“asobi”<あそび>って一体なんでしょうか?

古来日本文化には~遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や禅語「遊心」が風流=芸術の根底にあります。
西洋ではホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だと思想があります。
私には三人の赤ん坊を育てた臨床体験が鮮明に脳裏に刻みこまれています。乳に満ち足り、寝足りた赤ん坊の行為ですがそれはそれは好奇心に溢れています。手足で遊んだり、触れるものは何でも口に持っていったり、触覚、視覚、聴覚をフル回転して一時の休みもなく遊んでいます。ハイハイができるようになるとその好奇心は一段と高まり、その好奇心により運動能力が発達していく様に見えます。
この好奇心こそ人間の本質であり asobiではないでしょうか?

さて前書きが長くなりましたが、その狙いは私の 密やかな asobiを正当化するための方便でもあるのです。
寛仁大度な作家さま方が私の“asobi”に目くじらたてられないことを願っての、

ところで、今私が目にしている作品はかってはあなたの胎内から産み出されたものですね。安産であったか、七転八倒の難産であったかはわかりませんが産み出された作品はもう一つの独立した人格?というか画格を持った生命体として存在しているのです。
そして見る者の心に生命の輝きを点火させ、時空を超えて生命のエネルギーを放出し続けるのです。
もうそれは産みの親である作家さんの圏外の事象なのです。
感動された時、もうその人のPersonal possessionになるのですから。
感動するとは一体どういうことでしょうか?
それは見者の内にある感性が呼び覚まされる、そして共鳴することではないでしょうか。見者の未窟の鉱脈を探り当てる歓喜と奏でる協奏曲こそ至宝の asobi ではないでしょうか?

Close

Asobi

References to play abound in Japanese culture passed down over the centuries. Good examples include one of the Ryojin-hisho* songs, “We are all born to play, born to have fun. When I hear the voices of children playing, my old body still responds, wanting to join in,” and the Zen word, Yushin/Asobi-gokoro (A playful mind/Playfulness). Such references indicate that play (asobi) is one of the foundations of art and the popular arts. Similar ideas can be seen in the West, such as Johan Huizinga’s Homo Ludens (or Playing Man), which discussed the importance of play as an essential element in human activity and the origin of culture.

The experience of nursing and rearing my three children is vividly imprinted on my mind. Babies who had plenty of breast milk and sufficient sleep were absolutely brimming with curiosity. They played constantly, with their senses of touch, sight, and hearing in high gear, playing with their hands and feet, and putting anything they touched in their mouths. Once they started crawling, their curiosity went up another gear, seeming to drive the development of their physical abilities and motor skills. This curiosity is surely the essence of humanity, the manifestation of Asobi-gokoro or playful mind.

Please forgive the lengthy introduction, which largely serves to justify my own furtive play. I hope my playing will not overtax the artists’ generosity and compassion. You know, the artwork that I am now looking at has come forth from your womb. I don’t know if it was an easy delivery or an excruciatingly painful, difficult delivery, but now that it is done, the work that you gave birth to exists as a separate entity with its own independent character and its own life.

That entity sparks the fire of life in the hearts of viewers, triggering the ongoing emission of life energy that will transcend time and space. What happens is already outside the control of the artist who gave birth to it. When your art moves someone emotionally, that experience becomes his or her personal possession.

What does it mean to move someone? Surely it means stirring the viewer’s emotions and resonating inside him or her.Performing a ‘concerto’ that resounds with the joy of discovering an untouched vein of something precious inside the viewer is surely the most treasured form of play.

*Ryojin-hisho (Songs to Make the Dust Dance on the Beams): a folk song collection compiled by Cloistered Emperor Go-Shirakawa in the end of Heian period. (12th century)

Close