アート・遊|ART U

Blog|Art U Staff Blog “asobe”

見るものが生命を高める What you see enhances your vitality .

「漢字と視覚に関わる漢字」というタイトルに惹かれてカルチャーの一日講座を受けた。

〜聴覚と視覚の漢字は、神の世界に関わるものとして創生された。「聴」は人が神のお告げをきく語です。神の啓示は音として訪れる。「聴」に「目」があるのは聴覚の認識が高じて視覚の認識が加わったからであり、視覚の「相」は、木をじっと見ていると波動のようなものが伝わってきて、それが人相・手相など本質をみる意味に転化したと思われる。「省」はもと、支配地を巡察し省察する意味だが、やがて心の内部を省察する反省の意味になる。〜張 莉(大阪教育大学准教授)%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2018-08-22-12-17-19

甲骨文字から今の簡体語までにわたる講義は私の未開の好奇心を目覚めさせた。そして最後の一言〜見るものが生命を高める〜で発火された。これぞ art の真髄ではないか!と。

田中一村展 

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2018-08-14-18-24-24

近江野に連なる碧い山、緑の平野を走る風のなんと心地いいことだろう。頸を撫でる風に色を感じる。

夏盛り 近江野わたる 風の色

一村の展覧会を見終えてバスを待つ間、今すぐにも奄美大島に行きたい衝動に駆られるのでした。

「生誕110年 田中一村展」〜9 /17   佐川美術館

もとながさんがいやはりました!

img_5962

もとながさんのお姿しばらくみませんなぁ、ちょっと前までは大阪、神戸、京都で、阪急電車で、ようおめにかかりましたのに、、、なんやさいきん暫くおみかけせいへんので寂しいおもてましたわ。

ワォ!おいでやしたやおへんか、すぐ近くの土佐堀に。どかーんといやはりましたわ。なんやえらい気持ちように歌うては李ます、けど「星影のワルツ」ではなさそうです。久しぶりに元気なもとながさんにおであいしてなんや私もえろう元気もらいました。元永さんおおきに!さんどす。

1966年ジャパンソサイティの招聘で渡米し、エアーブラシの技法を取り入れました。大阪万国博覧会の みどり館の具体展に出品された作品です。元永さん 48 才、油の乗り切った時代です。

元永さんがおいでやすところ→<ルポンドシエル>  〒540-0031 大阪府大阪市中央区北浜東6−9 ルポンドシエルビル

 

PageTop

“asobi”<あそび>って一体なんでしょうか?

古来日本文化には~遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や禅語「遊心」が風流=芸術の根底にあります。
西洋ではホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だと思想があります。
私には三人の赤ん坊を育てた臨床体験が鮮明に脳裏に刻みこまれています。乳に満ち足り、寝足りた赤ん坊の行為ですがそれはそれは好奇心に溢れています。手足で遊んだり、触れるものは何でも口に持っていったり、触覚、視覚、聴覚をフル回転して一時の休みもなく遊んでいます。ハイハイができるようになるとその好奇心は一段と高まり、その好奇心により運動能力が発達していく様に見えます。
この好奇心こそ人間の本質であり asobiではないでしょうか?

さて前書きが長くなりましたが、その狙いは私の 密やかな asobiを正当化するための方便でもあるのです。
寛仁大度な作家さま方が私の“asobi”に目くじらたてられないことを願っての、

ところで、今私が目にしている作品はかってはあなたの胎内から産み出されたものですね。安産であったか、七転八倒の難産であったかはわかりませんが産み出された作品はもう一つの独立した人格?というか画格を持った生命体として存在しているのです。
そして見る者の心に生命の輝きを点火させ、時空を超えて生命のエネルギーを放出し続けるのです。
もうそれは産みの親である作家さんの圏外の事象なのです。
感動された時、もうその人のPersonal possessionになるのですから。
感動するとは一体どういうことでしょうか?
それは見者の内にある感性が呼び覚まされる、そして共鳴することではないでしょうか。見者の未窟の鉱脈を探り当てる歓喜と奏でる協奏曲こそ至宝の asobi ではないでしょうか?

Close

Asobi

References to play abound in Japanese culture passed down over the centuries. Good examples include one of the Ryojin-hisho* songs, “We are all born to play, born to have fun. When I hear the voices of children playing, my old body still responds, wanting to join in,” and the Zen word, Yushin/Asobi-gokoro (A playful mind/Playfulness). Such references indicate that play (asobi) is one of the foundations of art and the popular arts. Similar ideas can be seen in the West, such as Johan Huizinga’s Homo Ludens (or Playing Man), which discussed the importance of play as an essential element in human activity and the origin of culture.

The experience of nursing and rearing my three children is vividly imprinted on my mind. Babies who had plenty of breast milk and sufficient sleep were absolutely brimming with curiosity. They played constantly, with their senses of touch, sight, and hearing in high gear, playing with their hands and feet, and putting anything they touched in their mouths. Once they started crawling, their curiosity went up another gear, seeming to drive the development of their physical abilities and motor skills. This curiosity is surely the essence of humanity, the manifestation of Asobi-gokoro or playful mind.

Please forgive the lengthy introduction, which largely serves to justify my own furtive play. I hope my playing will not overtax the artists’ generosity and compassion. You know, the artwork that I am now looking at has come forth from your womb. I don’t know if it was an easy delivery or an excruciatingly painful, difficult delivery, but now that it is done, the work that you gave birth to exists as a separate entity with its own independent character and its own life.

That entity sparks the fire of life in the hearts of viewers, triggering the ongoing emission of life energy that will transcend time and space. What happens is already outside the control of the artist who gave birth to it. When your art moves someone emotionally, that experience becomes his or her personal possession.

What does it mean to move someone? Surely it means stirring the viewer’s emotions and resonating inside him or her.Performing a ‘concerto’ that resounds with the joy of discovering an untouched vein of something precious inside the viewer is surely the most treasured form of play.

*Ryojin-hisho (Songs to Make the Dust Dance on the Beams): a folk song collection compiled by Cloistered Emperor Go-Shirakawa in the end of Heian period. (12th century)

Close