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Blog|Art U Staff Blog “asobe”

 白髪忌

四月八日は白髪先生の九回目の命日、ただただ月日の流れの速さを知らされる。入院される前にはよくお電話をいただいたが、あの柔らかな上方のイントネーションが今も鮮やかに耳の奥に残っている。それにしても市井人としての暮らしの中に身を置きながらart の未踏の先覚者、冒険家とのあまりにも精神の距離の隔たりの大きさに、私は解せないのです。制作前の神仏への祈りはまるでエベレストに登頂するような精神の超高速のエレベーターだったのでしょうか?ごくありふれた上方の良家に現れた白髪一雄は一体何者だろうか?作品を前にして私の謎はますます深まるばかりです。合掌%e3%82%a4%e3%83%a1%e3%83%bc%e3%82%b8-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 

中辻悦子展

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悦子さんの底が抜けた!と会場に入るなり感じました。そして、このおおらかな生命力のパワーに圧倒されました。<元永定正>という強烈な磁力から解放された裸の中辻悦子が在る、と思いました。この伸びやかさと洗練されたシンプルさは元永さんの作品さえうじうじしているように思えてくるのです。作品と対峙していると、会場に来る時に大阪駅の路上で演奏していた南米の Vivandes と重なり、私の魂は無限に解放されていくのでした。この展覧会は神戸・元町のギャラリーヤマキで 5/6 まで開催しています。

ピナコテカがもどってくる!? “PINAKOTEKA” returns !?

 

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昨日、江之子島文化センターで大阪新美術館準備室の「具体美術協会関係資料」の報告会 に行った。最近、遺族から ダンボール 220箱分の資料が寄贈された。芦屋美術博物館や大阪大学にあったものも一括され大阪新美術館準備室が gutai の拠点となる。資料は宝の山ではあるがこれほどの膨大な資料を活用できるようにするには膨大な時間とお金が必要であろう。しかし程遠い現実の条件の中での学芸員さんの作業に脱帽する。半世紀以上経たフィルムの修復は気の遠くなるような作業があったと思う。新たに修復できたのを入れて16 本のフィルムが上映された。私は凝視した。途切れたり雨が降る荒い映像をイメージで修正しながら。高解度の映像が溢れている今見ても、それらの映像から飛沫が降りかかってくるのに gutai を改めて識った思いにさせられた。

特にラストの<具体美術まつり WXPO’70 お祭り広場における人間と物体のドラマ>は素晴らしい!毛糸人間(毛糸で編んだドレスの女性がスカートの端からくるくる舞いながら解かれていく)、ラメ人間(ラメに包まれた数人が踊る、万華鏡のように変化しながら)、赤人間(白髪一雄の三番叟の団体の踊りはど迫力あり)、ロボットの犬(小屋から無数の子犬のロボットが舞台いっぱいに歩き出す、女の子と坊やが倒れた犬の救助に走り回る)、プラスチックカー(ヨシダミノルのプラステックカーが光を放ちながら走り回る、大きなプラステックの塔のまわりを)、ふくらむ(吉田稔郎の泡が膨張する、七色の光を受けて。しんがりにふさわしい膨大なる演出)、どれも今パフォーマンスしても新鮮だと思う。半世紀余前に実現された!のです。何よりの財産は物ではなく創造力、 gutai の資料はその肥やしになるでしょう。願わくは膨大な資料が活かされること、そして新美術館がピナコテカになることを願いつつ。

 

 

 

 

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“asobi”<あそび>って一体なんでしょうか?

古来日本文化には~遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や禅語「遊心」が風流=芸術の根底にあります。
西洋ではホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だと思想があります。
私には三人の赤ん坊を育てた臨床体験が鮮明に脳裏に刻みこまれています。乳に満ち足り、寝足りた赤ん坊の行為ですがそれはそれは好奇心に溢れています。手足で遊んだり、触れるものは何でも口に持っていったり、触覚、視覚、聴覚をフル回転して一時の休みもなく遊んでいます。ハイハイができるようになるとその好奇心は一段と高まり、その好奇心により運動能力が発達していく様に見えます。
この好奇心こそ人間の本質であり asobiではないでしょうか?

さて前書きが長くなりましたが、その狙いは私の 密やかな asobiを正当化するための方便でもあるのです。
寛仁大度な作家さま方が私の“asobi”に目くじらたてられないことを願っての、

ところで、今私が目にしている作品はかってはあなたの胎内から産み出されたものですね。安産であったか、七転八倒の難産であったかはわかりませんが産み出された作品はもう一つの独立した人格?というか画格を持った生命体として存在しているのです。
そして見る者の心に生命の輝きを点火させ、時空を超えて生命のエネルギーを放出し続けるのです。
もうそれは産みの親である作家さんの圏外の事象なのです。
感動された時、もうその人のPersonal possessionになるのですから。
感動するとは一体どういうことでしょうか?
それは見者の内にある感性が呼び覚まされる、そして共鳴することではないでしょうか。見者の未窟の鉱脈を探り当てる歓喜と奏でる協奏曲こそ至宝の asobi ではないでしょうか?

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Asobi

References to play abound in Japanese culture passed down over the centuries. Good examples include one of the Ryojin-hisho* songs, “We are all born to play, born to have fun. When I hear the voices of children playing, my old body still responds, wanting to join in,” and the Zen word, Yushin/Asobi-gokoro (A playful mind/Playfulness). Such references indicate that play (asobi) is one of the foundations of art and the popular arts. Similar ideas can be seen in the West, such as Johan Huizinga’s Homo Ludens (or Playing Man), which discussed the importance of play as an essential element in human activity and the origin of culture.

The experience of nursing and rearing my three children is vividly imprinted on my mind. Babies who had plenty of breast milk and sufficient sleep were absolutely brimming with curiosity. They played constantly, with their senses of touch, sight, and hearing in high gear, playing with their hands and feet, and putting anything they touched in their mouths. Once they started crawling, their curiosity went up another gear, seeming to drive the development of their physical abilities and motor skills. This curiosity is surely the essence of humanity, the manifestation of Asobi-gokoro or playful mind.

Please forgive the lengthy introduction, which largely serves to justify my own furtive play. I hope my playing will not overtax the artists’ generosity and compassion. You know, the artwork that I am now looking at has come forth from your womb. I don’t know if it was an easy delivery or an excruciatingly painful, difficult delivery, but now that it is done, the work that you gave birth to exists as a separate entity with its own independent character and its own life.

That entity sparks the fire of life in the hearts of viewers, triggering the ongoing emission of life energy that will transcend time and space. What happens is already outside the control of the artist who gave birth to it. When your art moves someone emotionally, that experience becomes his or her personal possession.

What does it mean to move someone? Surely it means stirring the viewer’s emotions and resonating inside him or her.Performing a ‘concerto’ that resounds with the joy of discovering an untouched vein of something precious inside the viewer is surely the most treasured form of play.

*Ryojin-hisho (Songs to Make the Dust Dance on the Beams): a folk song collection compiled by Cloistered Emperor Go-Shirakawa in the end of Heian period. (12th century)

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