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Blog|Art U Staff Blog “asobe”

 子袋を なんで取るんや 春の猫

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我が家の ZARA姫も一歳の誕生を迎え避妊手術をしました。発情期の切ない媚態行動やホルモンによる病気の回避のメリット,望まぬ出産の命への尊厳と理性では認知するのですが 、、、

健康体にメスを入れてあるべき臓器を取り出すという不条理はなかなか抑え込むことができず、情感の潮にさいなまれるのでした。意味もわからず痛く恐ろしい体験をした猫を抱き寄せ、ただただこの不条理に泪するばかりでした。

誇り高い ZARA姫よ,人間の不条理を許してたもれ!この素敵な写真は陶芸家・山極千真沙さんです。そうそうもうすぐ展覧会が始まります。

「片片」2019.4.20~4.27 12:00-18:00,  "hase" 名古屋市中村区名益-10-7 花車ビル中館1F

知らなかった !! 岡上淑子

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マックス・エルンストをはじめダダ・シュルレアリスムをテーマにしてきたのに岡上淑子は未知だった。コラージュロマンといえばマックス・エルンスト、その代表作は「一週間の慈善事業」「百頭女」「カルメル僧会に入ろうとしたある少女の夢」で 1920 年代に制作された。当然岡上淑子のコラージュ制作の発想はエルンストの影響かと思いきやエルンストもシュルレアリスムも認識がなく制作したことに興味を持たされる。洋裁の原型の型紙の展示ををみているとその創作のきっかけが理解できる思いがした。ハトロン紙を切り込んで服を造型していく。その紙とハサミの自在な行為からくる造型は創造性を刺激する、は彼女はフッアションデザイナーであった。彼女がマックス・エルンストのコラージュロマンに影響を受けるのは瀧口修造と接点ができてからのことである。

アール・デコの東京庭園美術館の空間は岡上淑子を最高にバックアップしていた。

 

〜銀座に浮かぶ6隻の船〜 塩田千春

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草間彌生の水玉でオープンした GINZA SIX のギャラリーに塩田千春の船が浮かんでいます。この空中大空間を御し得る造型家はそういないと思います。かの大阪国立原美術館やヴェニスビエンナーレ等々の展覧会を思い浮かべればその実力は充分に知らされています。この企画者に拍手喝采!

〜船は人や物だけでなく、時間をも運びながらいずれかの方向に前進するものであり、「存在とは何か。生きているとはどういう意味なのか。私たちは何を求めて、どこへ向かおうとしているのか」を追求してきた〜

 

〜約25年前、銀座の画廊を見て、なんとかここで個展ができないかとクタクタになりながら、カバンの中に作品のポートフォリオを入れて歩き回っていました。アーティストとして作品を作って発表をしていくという壁の高さをただ思い知ったのも銀座〜

彼女の言葉に共鳴しながらエスカレーターを何度も上り下りするのでした。

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“asobi”<あそび>って一体なんでしょうか?

古来日本文化には~遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や禅語「遊心」が風流=芸術の根底にあります。
西洋ではホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だと思想があります。
私には三人の赤ん坊を育てた臨床体験が鮮明に脳裏に刻みこまれています。乳に満ち足り、寝足りた赤ん坊の行為ですがそれはそれは好奇心に溢れています。手足で遊んだり、触れるものは何でも口に持っていったり、触覚、視覚、聴覚をフル回転して一時の休みもなく遊んでいます。ハイハイができるようになるとその好奇心は一段と高まり、その好奇心により運動能力が発達していく様に見えます。
この好奇心こそ人間の本質であり asobiではないでしょうか?

さて前書きが長くなりましたが、その狙いは私の 密やかな asobiを正当化するための方便でもあるのです。
寛仁大度な作家さま方が私の“asobi”に目くじらたてられないことを願っての、

ところで、今私が目にしている作品はかってはあなたの胎内から産み出されたものですね。安産であったか、七転八倒の難産であったかはわかりませんが産み出された作品はもう一つの独立した人格?というか画格を持った生命体として存在しているのです。
そして見る者の心に生命の輝きを点火させ、時空を超えて生命のエネルギーを放出し続けるのです。
もうそれは産みの親である作家さんの圏外の事象なのです。
感動された時、もうその人のPersonal possessionになるのですから。
感動するとは一体どういうことでしょうか?
それは見者の内にある感性が呼び覚まされる、そして共鳴することではないでしょうか。見者の未窟の鉱脈を探り当てる歓喜と奏でる協奏曲こそ至宝の asobi ではないでしょうか?

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Asobi

References to play abound in Japanese culture passed down over the centuries. Good examples include one of the Ryojin-hisho* songs, “We are all born to play, born to have fun. When I hear the voices of children playing, my old body still responds, wanting to join in,” and the Zen word, Yushin/Asobi-gokoro (A playful mind/Playfulness). Such references indicate that play (asobi) is one of the foundations of art and the popular arts. Similar ideas can be seen in the West, such as Johan Huizinga’s Homo Ludens (or Playing Man), which discussed the importance of play as an essential element in human activity and the origin of culture.

The experience of nursing and rearing my three children is vividly imprinted on my mind. Babies who had plenty of breast milk and sufficient sleep were absolutely brimming with curiosity. They played constantly, with their senses of touch, sight, and hearing in high gear, playing with their hands and feet, and putting anything they touched in their mouths. Once they started crawling, their curiosity went up another gear, seeming to drive the development of their physical abilities and motor skills. This curiosity is surely the essence of humanity, the manifestation of Asobi-gokoro or playful mind.

Please forgive the lengthy introduction, which largely serves to justify my own furtive play. I hope my playing will not overtax the artists’ generosity and compassion. You know, the artwork that I am now looking at has come forth from your womb. I don’t know if it was an easy delivery or an excruciatingly painful, difficult delivery, but now that it is done, the work that you gave birth to exists as a separate entity with its own independent character and its own life.

That entity sparks the fire of life in the hearts of viewers, triggering the ongoing emission of life energy that will transcend time and space. What happens is already outside the control of the artist who gave birth to it. When your art moves someone emotionally, that experience becomes his or her personal possession.

What does it mean to move someone? Surely it means stirring the viewer’s emotions and resonating inside him or her.Performing a ‘concerto’ that resounds with the joy of discovering an untouched vein of something precious inside the viewer is surely the most treasured form of play.

*Ryojin-hisho (Songs to Make the Dust Dance on the Beams): a folk song collection compiled by Cloistered Emperor Go-Shirakawa in the end of Heian period. (12th century)

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