Blog|Art U Staff Blog “asobe”

銀閣寺のオブジェ

国宝の観音殿よりも、人事を尽くした広い庭よりも、方丈庭園に鎮座する砂の円錐台は存在感があった。聞くところによると足利義政が作庭したのではなく江戸時代に造られたそうだ。方丈の前にもともと池があったそうで水が枯れたかなにかで砂庭になったそうだ。

それにしてもなんと斬新な発想だろうか?この砂のインスタレーションは、私はこのオブジェを前にして暫し足が動かなくなった。銀閣寺は何度か来て目にしているのに。

月見台とか中国の西湖を模したものとかの説明はいらない。唯々、シンプルな素材とかたちに感動させられる。砂だけでの造形とこのシンプルなかたちとへの発想・創作に深く敬意を表する。そして造形の強さと普遍性を覚えさせられた。願わくは月の光で対峙したいものだ!

月光の円錐台をイメージしていたら球体が浮かんできた。あぁ、これは満月を乗せる台なのだ!円錐台と球体、地球と月のインスタレーションなのだと、そして人気のない夜にこのインスタレーションのショーが行われているのでは?この発想はジェームス・タレルを遡ること300年以上ではないだろうか?

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ジョージア・オキーフと福田平八郎

モダンテートでオキーフ展を観てきた。新モダンテートは煉瓦の市松模様が特色で旧館としっくり調和していた。テートのオキーフ展と期待が大きすぎた。じっくりとまとめられていたが拡大した花の大作は少なかった。やはり貸し出しが難しいのだろうか?ドライな砂漠の風土を描きながらも繊細な色調は日本画のように心を潤わせてくれる。全く古代紫と同じ色を出していたのには感心した。初めて飛行機に乗って感動した作品の「雲の上の空」は印象深かった。そしてなぜが福田兵八郎の「漣」が重なってきた。%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-19-13-27-14

 

 

吉原治良の苦悩

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今、芦屋市立美術博物館で吉原さんの展覧会が開かれている。初期から晩期までの作品を網羅した大阪市新美術館準備室&芦屋市立美術博物館の企画ならではの内容である。具体美術のリーダーであることはゆうに及ばず、戦後日本美術を今日のように国際的に位置付けた立役者である。そのようなアート界の大ボスの発端は芦屋のボンボンの趣味でその後も家業の吉原製油の経営との二足草鞋で偉業を成し遂げたのだ。

初期の作品群からは品性の高い色調と共に造形に対する純粋な精神が伝わってくる。改めてその造形力の高さを認識させられた。運命的な藤田嗣治との出会いにより造形の探検者となる。常に海外の先端のアート情報を取り入れ、その活動の場を二科会・九室とした。戦前の日本の画壇においては頗る異端であっただろう。経済的な後顧の憂いがないとはいえ精神的な冒険である。画家を生業としている者には出来ないことである。

やがて暗黒の時代、戦時下の作品からは創作を閉ざされた苦悩が伝わってくる。そして終戦と共に一気に檻から解き放たれ新たな混乱の時代となった。吉原はその坩堝からキリンやゲンビ、アシビをそして具体美術を産んだ。

当時の '50~60 年代始めの作品からは吉原の苦悩がヒシヒシと伝わってくる。リーダーとしての自己の理念と自己の創作とのギャップの苦悩が、絵画に対する柵の薄い若い会員たちはやすやすと伸びやかに自己のスタイルを表現していく。彼らにしては決してやすやすではなかったと思うが吉原の目にはそのように映ったのではないだろうか?側近の白髪一雄や嶋本昭三、吉田稔郎たちが夜な夜な呼び出され師の苦悩をぶつけられていた。

やっと辿り着いた<円>も決して決して苦悩から解放され自信に溢れたものではないと思う。二色の色彩が激しくせめぎ合っている円の縁を見ればわかる、その苦悩がヒシヒシと伝わってくる。深い悩みと激しい戦いの結晶が<円>なのだと、そして改めて挑戦者の深い苦悩を識った。

 

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“asobi”<あそび>って一体なんでしょうか?

古来日本文化には~遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や禅語「遊心」が風流=芸術の根底にあります。
西洋ではホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だと思想があります。
私には三人の赤ん坊を育てた臨床体験が鮮明に脳裏に刻みこまれています。乳に満ち足り、寝足りた赤ん坊の行為ですがそれはそれは好奇心に溢れています。手足で遊んだり、触れるものは何でも口に持っていったり、触覚、視覚、聴覚をフル回転して一時の休みもなく遊んでいます。ハイハイができるようになるとその好奇心は一段と高まり、その好奇心により運動能力が発達していく様に見えます。
この好奇心こそ人間の本質であり asobiではないでしょうか?

さて前書きが長くなりましたが、その狙いは私の 密やかな asobiを正当化するための方便でもあるのです。
寛仁大度な作家さま方が私の“asobi”に目くじらたてられないことを願っての、

ところで、今私が目にしている作品はかってはあなたの胎内から産み出されたものですね。安産であったか、七転八倒の難産であったかはわかりませんが産み出された作品はもう一つの独立した人格?というか画格を持った生命体として存在しているのです。
そして見る者の心に生命の輝きを点火させ、時空を超えて生命のエネルギーを放出し続けるのです。
もうそれは産みの親である作家さんの圏外の事象なのです。
感動された時、もうその人のPersonal possessionになるのですから。
感動するとは一体どういうことでしょうか?
それは見者の内にある感性が呼び覚まされる、そして共鳴することではないでしょうか。見者の未窟の鉱脈を探り当てる歓喜と奏でる協奏曲こそ至宝の asobi ではないでしょうか?

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Asobi

References to play abound in Japanese culture passed down over the centuries. Good examples include one of the Ryojin-hisho* songs, “We are all born to play, born to have fun. When I hear the voices of children playing, my old body still responds, wanting to join in,” and the Zen word, Yushin/Asobi-gokoro (A playful mind/Playfulness). Such references indicate that play (asobi) is one of the foundations of art and the popular arts. Similar ideas can be seen in the West, such as Johan Huizinga’s Homo Ludens (or Playing Man), which discussed the importance of play as an essential element in human activity and the origin of culture.

The experience of nursing and rearing my three children is vividly imprinted on my mind. Babies who had plenty of breast milk and sufficient sleep were absolutely brimming with curiosity. They played constantly, with their senses of touch, sight, and hearing in high gear, playing with their hands and feet, and putting anything they touched in their mouths. Once they started crawling, their curiosity went up another gear, seeming to drive the development of their physical abilities and motor skills. This curiosity is surely the essence of humanity, the manifestation of Asobi-gokoro or playful mind.

Please forgive the lengthy introduction, which largely serves to justify my own furtive play. I hope my playing will not overtax the artists’ generosity and compassion. You know, the artwork that I am now looking at has come forth from your womb. I don’t know if it was an easy delivery or an excruciatingly painful, difficult delivery, but now that it is done, the work that you gave birth to exists as a separate entity with its own independent character and its own life.

That entity sparks the fire of life in the hearts of viewers, triggering the ongoing emission of life energy that will transcend time and space. What happens is already outside the control of the artist who gave birth to it. When your art moves someone emotionally, that experience becomes his or her personal possession.

What does it mean to move someone? Surely it means stirring the viewer’s emotions and resonating inside him or her.Performing a ‘concerto’ that resounds with the joy of discovering an untouched vein of something precious inside the viewer is surely the most treasured form of play.

*Ryojin-hisho (Songs to Make the Dust Dance on the Beams): a folk song collection compiled by Cloistered Emperor Go-Shirakawa in the end of Heian period. (12th century)

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