勅使河原蒼風 in ザ・キャピトルホテル東急
「いわと」 1F 宴会場 ロビー
「いわと」 1F 宴会場 ロビー
東京でやっとやっと「白髪一雄展」が開催されました。 gutai グループ展での展覧会はありましたが、ともかく嬉しいことです。さっそく内覧会で観てきました。
〜さすがデッサン力あるね。〜キュビズムの影響受けてたのね。、、、とか会話をしながら隣のブースに入った観者の知的な絵画意識は一瞬にして払拭されるのです。<牛の内臓のホルマリン漬>を目にして。
私はこの展示に内心喝采を送りました。なんと見事な展示でしょう、白髪の本質を伝えるのに<牛の内臓のホルマリン漬け>はキーポイントになる作品だと思いますから。それに後の作品群を繋げる変圧器の役割を果たすと思いますから。
もう何年前になりましょうか?うちのギャラリーでの初めてのお出会いも、まず<牛の内臓のホルマリン漬>でした。温和な旦那風の品のいい上方語りの外観と、おどろおどろしい<牛の内臓のホルマリン漬>のお話にショックを受けました。そして今だにそのギャップは広がるばかりです。作品群は白髪自身のギャップの運動の証ではないでしょうか?私はますますその未見に惹かれていくのです。
勅使河原蒼風と縄文を探っていくと岡本太郎に繋がっていく のです。太郎の縄文との起点は1952年2東京国立博物館ですが、蒼風の縄文発掘とどちらが先でしょうか?私はそこに興味が惹かれるのです。当時、縄文土器に対しては発掘物であって文化財や art としての認識はなかった時代です。太郎のあの眼光により縄文は、縄文文化は蘇ったのです。これこそ真の発掘ではないでしょうか?蒼風は太郎の「夜の会」などで交流していました。又、太郎は雑誌『草月』での座談会で、はじめて縄文土器について熱く発言し ているのです。どちらにしてもこの偉大なるartの開拓者二人の出会いは日本の戦後美術を豊穣にしたことは事理明白でしょう 。
私は<縄文>のキーワードで久しぶりに岡本太郎の著書のページを繰りました。そして、あの強烈なキャラの目潰しで太郎の表層しか認識していなかったことを気づかされました。彼ほど明晰な知性と深淵な精神の持ち主はいないでしょう。真の天才だと改めて知らされたのです。
岡本太郎「今日の芸術」 1979 年より特に印象に残ったことを索引します。
<日本文化の特殊性>文化の復路小路
「この文化の系列はおおざっぱに言えば、室町時代にはじまり、徳川三百年の封建制と鎖国によって固定したものだと言えます。・・・以前の奈良、平安時代の文化とも質がちがってます。・・・この近世のかたよった流れは、日本の文化を歪め、不毛にしている悪い条件の研究材料として、冷静に観察する必要があると思うのです。」
〜日本を遠く離れたパリに身を置き民族学を深く学んだ太郎だからこそ日本の歴史を俯瞰できた根幹的な見識だと思います。
「日本は大陸とあれほど接していながら、ついに大陸文化の全量、その本質的な規模の大きさをほんとうに理解することができなかった。・・・日本と中国の距離というものは、ヨーロッパとの距離とほとんどひとしいくらい、あるいはさらに遠くへだたっているようにさえ思えます。」
〜留学したことと、中国大陸で戦役で五年もの過酷な体験から滲み出た深い洞察に面を取られた思いがしました。
<芸術と芸ごと>芸術と芸というものを、はっきり区別しなければいけない、芸術は創造です。同じことを決してくりかえしてはいけない。芸はふるい型を受けつぎみがいていくものです。
<原始的黒人芸術>徹底的にリファインされた文化は、かえって粗野な原始的なものによって新鮮な生命力を注入されなければ、実態が希薄になっていくのではないでしょうか。
<アバンギャルド芸術>われわれの精神には洗練された知性と同時に、強烈な盲目的本能がひそんでいます。芸術には二つのモメントが不可欠な要素なのです。これを共に激しく生かし、闘わせることが新しい芸術の課題であり、また在り方であると思います。
〜ひとつひとつの言葉は art の端くれに繋がる者として常に反芻すべきです、時代は変ろうとも。
古来日本文化には~遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ~梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や禅語「遊心」が風流=芸術の根底にあります。
西洋ではホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だと思想があります。
私には三人の赤ん坊を育てた臨床体験が鮮明に脳裏に刻みこまれています。乳に満ち足り、寝足りた赤ん坊の行為ですがそれはそれは好奇心に溢れています。手足で遊んだり、触れるものは何でも口に持っていったり、触覚、視覚、聴覚をフル回転して一時の休みもなく遊んでいます。ハイハイができるようになるとその好奇心は一段と高まり、その好奇心により運動能力が発達していく様に見えます。
この好奇心こそ人間の本質であり asobiではないでしょうか?
さて前書きが長くなりましたが、その狙いは私の 密やかな asobiを正当化するための方便でもあるのです。
寛仁大度な作家さま方が私の“asobi”に目くじらたてられないことを願っての、
ところで、今私が目にしている作品はかってはあなたの胎内から産み出されたものですね。安産であったか、七転八倒の難産であったかはわかりませんが産み出された作品はもう一つの独立した人格?というか画格を持った生命体として存在しているのです。
そして見る者の心に生命の輝きを点火させ、時空を超えて生命のエネルギーを放出し続けるのです。
もうそれは産みの親である作家さんの圏外の事象なのです。
感動された時、もうその人のPersonal possessionになるのですから。
感動するとは一体どういうことでしょうか?
それは見者の内にある感性が呼び覚まされる、そして共鳴することではないでしょうか。見者の未窟の鉱脈を探り当てる歓喜と奏でる協奏曲こそ至宝の asobi ではないでしょうか?
References to play abound in Japanese culture passed down over the centuries. Good examples include one of the Ryojin-hisho* songs, “We are all born to play, born to have fun. When I hear the voices of children playing, my old body still responds, wanting to join in,” and the Zen word, Yushin/Asobi-gokoro (A playful mind/Playfulness). Such references indicate that play (asobi) is one of the foundations of art and the popular arts. Similar ideas can be seen in the West, such as Johan Huizinga’s Homo Ludens (or Playing Man), which discussed the importance of play as an essential element in human activity and the origin of culture.
The experience of nursing and rearing my three children is vividly imprinted on my mind. Babies who had plenty of breast milk and sufficient sleep were absolutely brimming with curiosity. They played constantly, with their senses of touch, sight, and hearing in high gear, playing with their hands and feet, and putting anything they touched in their mouths. Once they started crawling, their curiosity went up another gear, seeming to drive the development of their physical abilities and motor skills. This curiosity is surely the essence of humanity, the manifestation of Asobi-gokoro or playful mind.
Please forgive the lengthy introduction, which largely serves to justify my own furtive play. I hope my playing will not overtax the artists’ generosity and compassion. You know, the artwork that I am now looking at has come forth from your womb. I don’t know if it was an easy delivery or an excruciatingly painful, difficult delivery, but now that it is done, the work that you gave birth to exists as a separate entity with its own independent character and its own life.
That entity sparks the fire of life in the hearts of viewers, triggering the ongoing emission of life energy that will transcend time and space. What happens is already outside the control of the artist who gave birth to it. When your art moves someone emotionally, that experience becomes his or her personal possession.
What does it mean to move someone? Surely it means stirring the viewer’s emotions and resonating inside him or her.Performing a ‘concerto’ that resounds with the joy of discovering an untouched vein of something precious inside the viewer is surely the most treasured form of play.
*Ryojin-hisho (Songs to Make the Dust Dance on the Beams): a folk song collection compiled by Cloistered Emperor Go-Shirakawa in the end of Heian period. (12th century)